これまでのGolf人生の振り返り その2(30代のゴルフ)

今日は、テーラーメイドとキャロウェイの新製品発表会がありましたね。テーラーメイドの発表はYouTubeでLive見ることができました。今、アーカイブでキャロウェイの発表会を見ながら、このブログを書いています。

発表されたSIMもEPICもとても魅力的です。それにしてもドライバーは、この2社に加えてPINGの3社が一歩抜けた感じを受けています。今年のモデルも様々な技術がこれでもかと盛り込まれていて、この先どんな技術が出るのか、開発サイドは大変だと思います。

週末はゴルフにのめり込む30代前半

ここからが本題です。本日は30代にどんなゴルフだったかを振り返ります。

初めて100を切ってから、更に真剣にゴルフに取り組むようになりました。この頃の住まいはマンションの1階で専用庭つきです。週末に時間があれば、庭でアプローチの練習をしていました。その練習法は、ボールが入っている小さな籠を入れるという単純なものです。それでアプローチを覚えていきました。そして、ゴルフのラウンドがない土曜日は5時半に起きて近くにある早朝2時間打ち放題に行きます、雨のときには翌日曜日には行くようにして週1回は打ち込むようにしていました。そこの練習場は芝生からも打てる打席があるので、最高の練習環境です。芝から打てる打席を確保するために早起きしていました。とにかく打つ、打つ、打つ、疲れるとアプローチ、そしてまた打つ、打つ、打つ、若いこともあって2時間もの間、休むことなくもくもくと終了時間までとにかく打ちます。2時間で500発ぐらい打ちました。「早起きは三文の得」と昔の人はよく言ったもので、料金は2000円、1発4円、今にして思うと夢のような話です。そのころは「ダンプ1杯のボールを打って一人前」とという根性論もあり、それを信じて良く打ちました。

レッスンプロにつく金銭的な余裕はありません。今にして思えば、そのころにしっかりと基礎を身に着けるべきでした。

それでも30代前半は90を打つと調子が悪いと感じるくらいになりましたが、どうしても70台はおろかハーフ30台すらでませんでした。そのころは、アプローチとパターに自信があったので大崩れすることもなく、。

そのころ、鳩山カントリーにマルマンオープンを、プレステージマッチプレーをそれぞれ見る機会に恵まれました。マルマンオープンでは、川岸良兼プロが当時はパーシモンを使っていて、低い弾道から吹き上がるボールや、ジャンボ尾崎プロの飛距離に驚いたものです。マッチプレーは、ファンだった中島常幸プロについて回り、淡々とプレーする姿と、そのオーラに圧倒されたことをよく覚えています。

33歳で一戸建てに引っ越しました。そこでも庭で練習できるように芝を敷きます。ただ夢の打ち放題の練習場は遠くなってしまいました。そして、近くの練習場に通うようになり、その練習場ではじめてレッスンプロに習いました。10回コースです。そこでスイングを直されて、それを基礎にしました。

ハーフパープレーと夢となった70台

そして、そのレッスン効果がでます。
34歳でハーフパープレーが出ました。栃木県のロイヤルメドウゴルフ倶楽部です。出だしの1番、フェアウェイど真ん中から9番のショットは左にふけてグリーンサイドの土手、そこから3メートルに寄せてパー。その後、ワンバーディ、ワンボギー、イーブンで迎えた池越えの8番ホール、池に入れたら万事休すと思い緊張しながら7番で放ったショットはハーフトップ、どうにか池を超えたものグリーンに届かず寄席ワン叶わずボギー。ダブルボギーでも30台、と思った9番のティーショットはスライスして、ラフへ、そこから9番アイアンで放ったショットはグリーンヘッジにいきます。そこからの寄せは、非常に難しいフックラインでした。AW(そのころはPSとかAWとかと言っていました。要は、サンドとピッチングの間のクラブ)で寄せて1オーバーで、と思い集中してアプローチをしたらそれがチップイン、実力より幸運なパープレーでした。

そうなると目指せ夢の70台です。ビールも飲まず、10番のティーショットが異様なほど緊張していたことをよく覚えています。いきなり右に曲げて隣のホール、1ペナでダボスタート、暗雲が立ち込めます。その後はパーとボギーを交互に出すいつものゴルフで9番を迎えたとき8オーバー、バーディなら夢の79。こんなチャンスはなかなかない、渾身のティーショットはナイスショット、残り110ヤードで確か10ヤードぐらいの打ち上げだったと思います。PWでギリギリ届くけど力むといいことないと思い9番で打ったショットはナイスショット、ピン奥3メートルにつきます。下りのスライスライン、キャディさんの読みではボール1つでした。その一点だけを目掛けて打ちましたが、一筋外れて万事休す、返しのパーパットを沈めて44、80ジャストでフィニッシュ。ハーフ30台は幾度となく出しますが、ラウンドスコアとなるとこの80に並ぶことは3回ほどありましたが、いまだに70台をだせずにいます。いいところまで行って意識をしすぎて大たたきをしてまいます。このときにすんなり出していればきっと何度か出すことができていたのかもしれません。

会員権購入!

ほどなくして、最初の会員権を購入。ミサワゴルフガーデンクラブ(現宇都宮ガーデンクラブ)です。栃木県で、埼玉の自宅から1時間半、バブルがはじけて1800万円だった会員権を600万円で新規募集(1800万円の会員権は3分割したとか・・・)をしており、コースの下見をして購入を決意しました。取得したHDCPは13、その後、月例にも参加する様になり12になりました。埼玉から杉並に転居したことで足が遠のいてしまいます。杉並からですと2時間はかかってしまうのです。

ゴルフはしていたけど上達しない30代後半

30代の後半は、仕事でのゴルフの機会も増え、ラウンド回数も増えます。そして始めてシアトルやハワイ、海外でのプレーのチャンスにも恵まれました。しかしながら、ラウンドする機会が増えてゴルフが雑になってきたからか、上達もしなければ、下手もにならない、だいたい80台の後半、調子が良いと80台前半、悪いと90以上を打つをいう状態になります。そんな状態に加えて、飛距離もアマチュアとして出ていて置いておかれることは少なかったので、満足してしまってスキルアップに真剣に取り組んでいなかったと思います。今、思うと、この頃にひとつひとつのプレーを大事にして、真剣にやっておく最後のチャンスだったかもしれません。

そのころ同志社大学ゴルフ部出身のMSさんと一緒にラウンドする機会が多くあり、良く教えていただきました。MSさん曰く、「ゴルフの本当の実力はハーフのベストスコア、絶対にラウンドでパープレーで回れますよ!」このありがたいお言葉を、自分の実力と信じてプレーをしていたものです。

ホールインワンを達成

そんなゴルフでしたが、38歳でホールインワンを達成します。

1999年9月4日、千葉県のラ・ヴィスタ ゴルフリゾートの15番、打ち下ろしの168ヤード、ピンは左サイドに切られています。7番アイアンでドローボールでピンを狙い、放ったホールは思い通りの弾道でした綺麗にドローをしてピンに向かいます。ピンの1メートルほど手前に落ちて2バウンドでカップに消えました。同伴競技者もびっくり!何より私自身が一番驚き、カップの中のボールを確認するまでドキドキしていたことが昨日の様です。

次のホールではロストボールにシャンク、スコアはよく覚えていませんが、90は打ったと思います。

ホールアウトして証明書と記念品をいただきました。ゴルフ保険に入っていましたが、キャディがいなかったために、残念ながら保険は下りずじまいでした。

f:id:ageshoot:20210120193930j:plain

ホールインワンの証明書 今でも大切にしています


日を改めて同伴競技者に麻布で焼肉をご馳走したぐらいで、「お福分け」を済ませてしまいました。

仕事の関係で2002年から2年半、クラブを握らない期間ができてしまいます。

明日の午前はレッスンを受けますので、そのレポートを書く予定です。次のゴルフ人生振り返り(40代のゴルフ)は週末を予定しています。